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第1話 / 全1話

送迎車の朝

人生図書館 · 963字 · 約2分

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 デイサービスの送迎車を運転して、四年になる。

 朝、七時五十分に事業所を出て、五人を順番に拾って、九時に戻る。午後は逆回り。それを週五日。

 利用者さんの名前と家と、玄関の段差の高さは、全部覚えている。運転手はそういうものだ。

 松田さんは、団地の三号棟の一階で、ひとりで暮らしている。八十六歳。

 松田さんは、いつも玄関の外に立って待っている。

 八時二十分に車を着けると、もう立っている。杖を持って、鞄を肩にかけて、帽子をかぶって。冬でも立っている。「中で待っててください」と何度言っても、「外の空気を吸っとる」と言って、立っている。

 私が車を降りて、鞄を預かって、手を貸して乗ってもらう。乗ったら「よろしく」と言う。それが四年間、毎回だった。

 今朝、松田さんは、いなかった。

 玄関の前に、誰もいなかった。

 私はまず、時計を見た。八時二十一分。遅れてはいない。

 車を降りて、玄関のチャイムを押した。返事がなかった。もう一度押した。

 ドアに耳をつけた。テレビの音がした。

 私は事業所に電話した。事業所が、松田さんの娘さんに電話した。娘さんは隣の市にいて、鍵を持っている。三十分かかると言った。

 私は車に、ほかの四人を乗せていた。

 先に事業所に送って、戻ってきます、と言った。

 四人を降ろして、戻ってきたら、娘さんの車が停まっていた。

 玄関が開いていて、中から声がした。娘さんの声と、それから、松田さんの声だった。

 松田さんは、居間で、椅子に座っていた。

 テレビがついていた。

 「起きたら九時やった」と松田さんは言った。「目覚ましが鳴らんかった」

 目覚ましは、鳴っていた。娘さんが確認したら、鳴っていた。松田さんが、気づかなかったのだ。

 娘さんは何も言わなかった。私も何も言わなかった。

 松田さんは、帽子をかぶって、鞄を肩にかけて、杖を持って、私の車に乗った。

「よろしく」

 と言った。

 その日の帰り、松田さんは車の中で、私に聞いた。

「あんた、今朝、何回押した」

「二回です」

「そうか」

 それだけだった。

 次の日の朝、松田さんは玄関の外に立っていた。八時二十分。杖と鞄と帽子。

 私は車を降りて、鞄を預かった。

 松田さんは何も言わなかった。私も言わなかった。

 ただ、その日から松田さんは、玄関の鍵を、閉めなくなった。

 娘さんに、私はそれを言っていない。

 言うべきなのかもしれない。でも、まだ言っていない。

この作品はここで完結です。

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