万引きを捕まえたのは、十八年働いて、その日が最初だった。
と言うと驚かれるが、うちのような小さな薬局では、たいてい見て見ぬふりをする。捕まえると、その日の午後が全部つぶれる。警察を呼んで、調書を取って、親を呼んで、頭を下げられて。三百円の商品のために。
でもその日は、捕まえた。
女の子だった。中学生くらい。制服じゃなくて、パーカーにジャージだった。リップクリームを一本、ポケットに入れた。三百二十円。
声をかけたのは、私が疲れていたからだ。それが正直なところだ。前の日に義理の母の通夜があって、寝ていなかった。何か、誰かに対して、はっきりしたことをしたかった。それが、たまたま、その子だった。
事務所で、女の子は泣かなかった。
「親、呼ぶよ」
「いません」
「いないってことないでしょ」
「いま、いません。仕事で」
「連絡先は」
女の子は、番号を言った。私がかけると、留守番電話だった。
二時間、私と女の子は事務所にいた。私はレジに出たり戻ったりした。女の子はパイプ椅子に座って、床を見ていた。
「なんで盗ったの」
私は聞いた。聞いても意味がないことは知っていた。
「……欲しかったから」
「三百二十円だよ」
「なかったから」
「三百二十円が?」
「はい」
私は、それ以上聞けなかった。
母親は、十九時過ぎに来た。作業着のまま、走ってきたみたいに息を切らして。
頭を下げられた。何度も。私は「もういいです」と言った。警察は呼ばなかった。呼ぶ気力が、もうなかった。
母親は、財布から小銭を出して、三百二十円をカウンターに置いた。
私は受け取った。
受け取るべきじゃなかったのかもしれない。でも、受け取らないと、あの人はたぶんもっと困った。
それから、十年くらい経つ。
薬局はまだやっている。私は五十を越えた。
去年の冬、若い女の人が店に来て、リップクリームを買った。三百二十円じゃなくて、四百五十円になっていた。物の値段は上がる。
女の人はレジで、私の顔を見た。
私は、わからなかった。
でも、その人は、お釣りを受け取るときに、小さく「どうも」と言って、それから、少し間があって、「……あの時は」と言いかけて、やめた。
私は「ありがとうございました」と言った。いつもの通りに。
その人が出て行ってから、私はしばらくレジに立っていた。
あの時の子だったのか、違ったのか。私にはわからない。わからないままでいいと思う。
ただ、あの日の三百二十円を、私は受け取った。それは覚えている。それだけは、たぶん、ずっと覚えている。