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第1話 / 全1話

五時のチャイムが鳴るまで

人生図書館 · 893字 · 約2分

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 辞めます、と言ったとき、監督は何も聞かなかった。

「そうか」とだけ言って、書類を出してきた。退部届。こんなものがあるのを、僕は初めて知った。

 部室の前で、一年のときからの同期に会った。彼は僕を見て、一瞬だけ足を止めて、それから「お疲れ」と言った。それだけだった。

 僕は、何かを期待していたのだと思う。引き止められることか、理由を聞かれることか、あるいは責められることか。何もなかった。

 それから僕は、放課後になると校舎の裏の非常階段に座るようになった。

 三階の踊り場からは、グラウンドが見える。走っているやつらが、豆粒みたいに見える。

 なんでそこに座っていたのか、自分でもよく分からない。家に帰りたくなかったのは確かだ。でもそれだけじゃなかった。

 三崎が来たのは、辞めて二週間くらい経った日だった。

 同じ部の、僕より速いやつだった。県大会で決勝に残ったこともある。

「なにしてんの」

「べつに」

「ふうん」

 三崎は僕の隣に座った。練習着のままで、まだ息が上がっていた。

「サボり?」

「休憩」

「休憩って」

 三崎はそれ以上何も言わずに、グラウンドを見ていた。僕も見ていた。五時のチャイムが鳴って、三崎は立ち上がって、行った。

 次の日も、三崎は来た。

 その次の日も。

 理由は聞かなかった。僕も聞かなかった。ただ三崎は、毎日十分くらい僕の隣に座って、グラウンドを見て、チャイムが鳴ると戻っていった。

 一か月くらい経ったころ、僕は初めて自分から口を開いた。

「なんで来るの」

「休憩」

「毎日?」

「毎日」

 三崎は笑っていなかった。

「お前が辞めた日、おれ、何も言えなかったから」

「……」

「言えなかったから、来てる」

 僕は、三崎の横顔を見た。

 辞めた理由は、いまでもうまく言えない。速くなれないことが分かったから、というのは半分で、残りの半分は、たぶん自分でも見たくないものだった。

 でも、あの非常階段で、三崎が毎日十分だけ隣に座っていたことは、はっきりと覚えている。

 僕は結局、部には戻らなかった。

 三崎は三年の秋まで走った。インターハイには届かなかった。

 卒業式の日、三崎は「休憩、終わり」と言って、僕の肩を叩いた。

 五時のチャイムが、遠くで鳴っていた。

この作品はここで完結です。

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