祖母が亡くなって、一か月ほどして、母から電話があった。
「あんた名義の通帳、出てきた」
「私の?」
「おばあちゃんの箪笥から」
私はそのとき四十一で、自分の口座は二つしかないと思っていた。三つ目があるとは知らなかった。
実家に帰って、通帳を見た。
地元の信用金庫のもので、表紙が三冊分、輪ゴムでまとめてあった。一番古いのは昭和の日付で、私が生まれた翌月から始まっていた。
三千円。
毎月、三千円。
入金の欄に、同じ数字がずっと並んでいた。私が小学校に入った年も、中学で祖母と口をきかなくなった時期も、大学で県外に出た年も、三千円だった。結婚した月も、離婚した月も。
四十年で、百四十万円と少し。利息が、途中から目に見えて減っていくのが、通帳の数字でわかった。
祖母は、私にお金の話をしたことがなかった。
お年玉も、ほかの孫と同じ額だった。特別扱いされた記憶はない。
どちらかというと、口うるさい人だった。箸の持ち方、座り方、電話の出方。中学のころ、私は祖母を避けていた。避けていることを、祖母もわかっていたと思う。
その間も、三千円は入っていた。
母は「知らなかった」と言った。
「あの人、自分のこと全然言わなかったから」
祖母の年金は、月に六万円ほどだったらしい。そこから三千円。
私は通帳を持ったまま、しばらく祖母の部屋に座っていた。
箪笥の引き出しには、通帳と一緒に、信用金庫の粗品のタオルが、封を切らないまま何枚も入っていた。毎月、窓口に行って、三千円を入れて、タオルをもらって帰る。それを四十年。
行員の人は、祖母の顔を覚えていただろうか。
「お孫さんの」と言われて、祖母はどんな顔をしただろうか。
私はそのお金を、まだ使っていない。
解約もしていない。
毎月三千円を、今度は自分で入れている。祖母と同じ信用金庫の、同じ窓口で。粗品のタオルは、もう配っていなかった。
何のためかは、決めていない。
ただ、四十年分の三千円を、私の代で途切れさせたくなかった。それだけの理由で、続けている。