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第1話 / 全1話

判子の場所

人生図書館 · 840字 · 約2分

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 離婚届は、冷蔵庫の上の菓子箱に入っている。

 書き終えたのは去年の十一月で、証人の欄は夫の兄と私の姉が書いた。判子も押した。あとは市役所に持っていくだけだった。

 持っていっていない。

 八か月になる。

 書いた日のことは、よく覚えている。

 夫が「もういいだろ」と言って、私が「うん」と言って、二人でテーブルに向かい合って、鉛筆じゃなくてボールペンで書いた。書き終わって、夫が「明日、出してくる」と言った。

 次の日、夫は出しに行かなかった。仕事が長引いたと言った。

 その次の日は、私が「私が行く」と言って、行かなかった。頭痛がした。本当にした。

 三日目からは、どちらも何も言わなくなった。

 同じ家に住んで、同じ冷蔵庫を開けて、その上の菓子箱を、二人とも見ないようにしている。

 台所に立つと、視界の端にある。夫が冷蔵庫の麦茶を取るとき、手が箱のすぐ下を通る。

 箱の中身は、離婚届と、あと、いつかもらった結婚式の引き出物のカタログの控えが入っている。私は最近になって、それが同じ箱に入っていることに気づいた。誰が入れたのかは、わからない。

 この八か月、私たちは、ケンカをしていない。

 書く前は、月に一度は大きな声を出していた。書いたあとは、一度もない。

 出す日を決めていないから、その日までは、と思って穏やかにしているのか。それとも、書いたことで何かが済んでしまったのか。

 夫は、前より早く帰ってくる。

 私は、前より夕飯を作っている。

 どちらも、理由は言わない。

 先週、姉から電話があった。

「あれ、出したの」

「まだ」

「まだって、何やってんの」

「わかんない」

「わかんないって……あんた」

 姉は少し黙ってから、言った。

「出さないなら、破りなよ」

「うん」

「破るか、出すか、どっちかにしなよ」

「うん」

 私はそれを、夫に言っていない。

 今朝、冷蔵庫の上を見たら、菓子箱の位置が、少しずれていた。

 夫が触ったのだと思う。

 開けたのか、動かしただけなのか、わからない。中は見ていない。

 私は箱の位置を、元に戻した。

 夫がそれに気づくかどうかは、わからない。

この作品はここで完結です。

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