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第1話 / 全1話

駅までの十二分

人生図書館 · 986字 · 約2分

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 家から駅までは、車で十二分だった。

 十八の春、私は東京の専門学校に行くことになっていて、その朝、父が駅まで送ってくれることになっていた。母は仕事で、先に出ていた。

 父は口数の少ない人で、私も父とはあまり話さなかった。中学からこっち、まともに会話した記憶がない。

 だから、車の中で何を話せばいいのか、前の晩から考えていた。

 考えて、決めた。

 ひとことだけ言おう。「ありがとう」でいい。十二分あれば、どこかで言える。

 荷物を積んで、車が出た。

 父はラジオをつけた。交通情報が流れていた。国道の渋滞と、天気。

 私は窓の外を見ていた。見慣れた道が、今日で最後、というほどではない。盆と正月には帰る。でも、この車に乗るのは、たぶん今日が最後に近い。

 三分。

 父は何も言わない。

 私も何も言わない。

 信号で止まった。父が咳払いをした。何か言うのかと思ったら、言わなかった。ラジオが、明日は晴れると言った。

 六分。

 国道に出て、車が少し速くなった。

 私は「あのさ」と言おうとして、やめた。

 言ったあとが続かない気がした。「ありがとう」の次に、何を言えばいいのか。父が「何が」と聞いたら、答えられない。何が、と言われたら、全部、としか言えない。全部、なんて言えない。

 九分。

 駅の看板が見えた。

 父が言った。

「金、足りなくなったら言え」

「うん」

「言えよ」

「うん」

 それが、父の言葉だった。私はその「うん」を、ありがとう、のつもりで言った。伝わったかどうかは、わからない。

 十二分。

 駅前のロータリーに車が止まった。

 父はエンジンをかけたまま、トランクを開けた。私が荷物を出した。父は運転席から降りなかった。

「じゃあ」

「うん」

 私は荷物を持って、改札に向かった。

 振り返ったら、父の車はまだ止まっていた。父は前を見ていた。私を見てはいなかった。

 改札を通って、ホームに上がって、そこからロータリーは見えなかった。

 それから二十年になる。

 父はまだ元気で、今も口数は少ない。私が帰ると、駅まで迎えに来る。十二分の車の中で、相変わらず、ラジオが交通情報を流している。

 ありがとう、はまだ言っていない。

 言おうと思えば、言える。もう十八ではないし、言ったあとが続かなくても、今なら平気だ。

 でも、言っていない。

 たぶん、あの日の十二分のなかに置いてきたまま、拾いに戻れずにいる。

 次に帰ったときに、言うかもしれない。言わないかもしれない。

 父の車は、今も同じ車だ。

この作品はここで完結です。

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