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第1話 / 全1話

遠くで灯りが

人生図書館 · 786字 · 約1分

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 離婚届を出した日、私は不動産屋に行って、一番安い部屋を借りた。

 六畳のワンルーム。窓を開けると、向かいのアパートの壁が見える。

 荷物は段ボール四箱で済んだ。二十年の結婚で、私のものと呼べるものは、それだけだった。

 最初のひと月は、何もしなかった。

 仕事には行った。帰ってきて、コンビニの弁当を食べて、寝た。テレビはなかった。買う気にもならなかった。

 夜、電気を消して横になると、窓の外に灯りが見えた。

 向かいのアパートの、二階の角の部屋。

 毎晩、十時ちょうどにつく。そして、深夜一時ごろに消える。

 カーテンは閉まっていて、中は見えない。ただ、灯りがつく。それだけだ。

 私はいつの間にか、その灯りを待つようになっていた。

 十時。今日もついた。よかった。

 なにが「よかった」のか、自分でも分からなかった。

 二か月目に、私は小さな鉢植えを買った。

 ベランダに置いた。ミニトマトの苗で、育て方も知らなかった。ただ、朝に水をやるという用事がほしかった。

 三か月目に、鉢は三つになった。

 四か月目、初めて実がなった。小さくて、酸っぱかった。私はベランダで、その一粒を食べて、少し笑った。ひとりで笑ったのは、離婚してから初めてだった。

 半年が過ぎたころ、向かいの灯りが、三日続けてつかなかった。

 私は、驚くほど動揺した。

 どうしたのだろう。引っ越したのか。それとも――。

 四日目の夜、灯りがついた。

 私は窓辺に立って、その灯りを見ていた。

 そして、初めて気づいた。

 向こうからも、私の部屋の灯りが見えているはずだ、ということに。

 私は次の日、ベランダに、小さなランプを置いた。

 電池式の、安いランプだ。

 夜十時、向かいの灯りがついた。

 私は、ランプをつけた。

 それだけのことだ。相手が誰なのか、知らない。知ろうとも思わない。

 ただ、あの部屋に誰かがいて、この部屋に私がいて、それぞれの夜を生きている。

 それが分かるだけで、夜は少し、短くなった。

この作品はここで完結です。

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