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第2話 / 全2話

最後の一キロ

人生図書館 · 805字 · 約1分

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 免許センターの駐車場で、父が言った。

「そこまで、俺が運転する」

「返したばっかりでしょ」

「まだ今日は有効だ」

「そういう問題じゃない」

「そういう問題だ」

 父は助手席のドアを開けなかった。運転席の前に立って、私を見ていた。この人は、こういう顔をするとき、絶対に引かない。母の葬式で、坊さんに戒名の値段を値切ったときと同じ顔だった。

 私はキーを渡した。

 法的にどうなのかは、正直、いまでもわからない。返納の手続きをした日の午後に運転していいのか。たぶんよくない。でも私は、渡した。

 父の運転は、ゆっくりだった。

 制限速度四十のところを、三十で走った。後ろに軽が一台ついて、追い越していった。父は気にしなかった。

 交差点で、父はきちんと止まって、右、左、右、と首を振った。私が教習所で習ったのと同じ順番で。父もどこかで習ったのだろう。五十年前に。

「ここ、昔、火事あった」

 父が言った。

「うん」

「お前が小学校のとき」

「覚えてる」

「消防車が来る前に、川の水を運んだ。バケツで」

 私は覚えていなかった。父がバケツで水を運んだことも、火事のことも。覚えていたのは、消防車の音だけだった。

 国道から農道に入ると、父はさらに遅くなった。二十キロも出ていなかったと思う。田んぼは稲刈りが終わっていて、切り株だけが並んでいた。

「あの用水路」

 父が顎で示した。

「落ちたやつ」

「うん」

「浅いんだ、あれ」

「うん」

「浅いのに、上がれなかった」

 それ以上、父は言わなかった。

 家の前で、父はエンジンを切った。キーを抜いて、しばらく手のひらに乗せていた。それから、私に渡した。

「はい」

「うん」

「これで終わり」

「うん」

 父は車を降りて、玄関に入っていった。私は運転席に移って、車を車庫に入れた。

 翌朝、私は父を乗せてスーパーに行った。父は助手席で、ずっと外を見ていた。

「遅い」

「四十だよ」

「遅い」

 私は少しだけアクセルを踏んだ。

 帰りの新幹線は、四日目だった。妻の言った通りだった。

この作品はここで完結です。

読んでくださって、ありがとうございます。よかったら作者に一言を。

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