母が倒れたのは、私が三十二歳の春だった。
連絡をくれたのは隣の家の岡田さんで、電話口の声は落ち着いていたけれど、「お母さん、玄関で座り込んでてね」という言い方に、ただごとではないものを感じた。
新幹線の中で、私は何度も母の携帯にかけた。出るはずがないと分かっていて、かけた。呼び出し音が鳴るたびに、母の台所の音を思い出した。
包丁がまな板を叩く、とん、とん、という音。鍋の蓋がかたかたと鳴る音。換気扇の低い唸り。私はその音の中で育った。宿題をしながら、テレビを見ながら、背中でその音を聞いていた。
病院に着くと、母は眠っていた。
医師の説明は、私にはほとんど頭に入らなかった。脳梗塞、左半身、リハビリ、という単語だけが、ばらばらに耳に残った。
その夜、私は実家に帰った。
鍵を開けて、台所の電気をつける。誰もいない台所というのは、こんなに広かっただろうか。
冷蔵庫を開けると、いつもの母の冷蔵庫だった。半分残ったキャベツ、ラップをかけた煮物、賞味期限を三日過ぎた牛乳。
その奥に、タッパーがひとつあった。
蓋に、マスキングテープが貼ってある。母の字で、「カレー」と書いてあった。
私はそれを取り出して、しばらく両手で持っていた。
母は、いつ、誰のためにこれを作ったのだろう。
自分のためだけに、こんなふうにラベルを貼るだろうか。
私はタッパーを冷蔵庫に戻して、台所の椅子に座った。母がいつも座っていた、流しに一番近い椅子だった。