祖父が死んで、四十九日が過ぎたころ、母と二人で祖父の部屋を片付けた。
茶箱の底に、封筒が一つあった。
中に入っていたのは、藁半紙に鉛筆で描かれた地図だった。何枚も重ねて、ところどころ破れている。
地図には、長方形がいくつも並んでいて、一つ一つに番号が振ってあった。端のほうに小さく、「第七分所」と書いてある。
母は、それを見て、「ああ」と言った。
「おじいちゃん、シベリアにいたのよ」
私は初めて聞いた。
祖父は、私が知る限り、戦争の話をしたことがなかった。八月になってテレビで特集が流れると、黙ってチャンネルを変えた。それだけだった。
地図の裏には、名前が書いてあった。
三十二人分。名前と、出身地と、そして、日付。
ほとんどの名前の横に、日付があった。
母が言った。
「亡くなった日、じゃないかしら」
私は、その名前をひとつずつ読んだ。
佐藤、山形。昭和二十一年一月。
田中、新潟。昭和二十一年二月。
鈴木、長野。昭和二十一年二月。
最後の名前だけ、日付がなかった。
祖父の名前だった。
私は、その地図を持ち帰った。
仕事の合間に、少しずつ調べ始めた。第七分所がどこにあったのか。三十二人の名前の中に、まだ生きている人、あるいはその家族がいるのか。
祖父は、なぜこれを描いたのだろう。
なぜ、誰にも見せずに、茶箱の底に入れておいたのだろう。
そして、なぜ、捨てなかったのだろう。
私はまだ、その答えを知らない。
ただ、祖父が三十一人の名前を、忘れないために書いたのだということだけは、分かる。