地図の裏に書かれた三十二人の名前のうち、私は一人を探し当てた。
探し当てた、というのは大げさで、県の遺族会に問い合わせたら、名簿に同じ名前と出身地の人がいた。それだけだ。
鈴木、長野。昭和二十一年二月。
名簿には、その人の息子さんの連絡先が載っていた。八十を過ぎている、と遺族会の人は言った。
電話をかけるまでに、一週間かかった。
何と言えばいいのか、わからなかった。「あなたのお父さんの名前が、私の祖父の地図の裏に書いてあります」。言ってみると、変な話だった。
かけた。
出たのは、その人だった。耳が遠くて、三回、名前を言い直した。
「鈴木さん、ですか。長野の」
「ああ、そうです」
「私の祖父が、シベリアで――」
そこまで言って、電話の向こうが、静かになった。
長い沈黙のあと、その人は言った。
「親父の話をする人は、もう、いないと思ってた」
二週間後、私は長野に行った。
その人の家は、りんご畑の中にあった。
私は地図のコピーを持っていった。裏の名前の欄を、その人は老眼鏡をかけて、長いあいだ見ていた。
「これ、親父の字じゃないですね」
「祖父が書いたんです」
「ああ、そうか。そうですね」
その人は、自分の父親の顔を、覚えていないと言った。父親が出征したとき、二歳だった。
「写真が一枚だけあって。それだけです」
と言って、仏壇から写真を持ってきた。軍服の若い男の人だった。
私は、祖父の若いころの写真を持ってきていなかった。持ってくればよかった、と思った。
帰りぎわ、その人がりんごを箱で持たせてくれた。
「持って帰ってください。親父のことを、覚えててくれた人に」
覚えていたのは、私ではなくて祖父だ。私はそう言おうとして、やめた。
祖父が茶箱の底に地図を入れて、私がそれを見つけて、ここに来た。それは、祖父が覚えていたのを、私が引き継いだということでいいのかもしれない。
りんごは、重かった。
残りは三十人。
全員を探せるとは思っていない。
ただ、一人見つかった。それで、もう少し続けようと思った。